2019.11.13~16 夜行列車で深圳へビザラン 長沙観光

さて、上海から湖南省の省都長沙まで自転車で来たわけであるが、ここで一つ問題が。自分が中国に入国したのは10月17日だが、自分の持っている観光(L)ビザの期限は30日なので、11月15日で期限が切れるのである。

自分はベトナムとの国境まで自転車で行くつもりなので、最低でもあと1ヶ月くらいは中国にいる必要がある。Lビザなら公安局で1ヶ月の延長も出来るらしいが、時間と金が結構かかりそうなので、香港へビザランをしに行くことにする。

ビザランとはビザの期限が切れる前に国外に出国してすぐに再入国することで、滞在期間をリセットし、ノービザ滞在期間(中国における日本人なら15日間)分の日数を延長することをいう。ビザランは英語の visa run out(ビザが切れる)からきてるとかなんとか。

で、香港とマカオも一国二制度のおかげで出国扱いになるのだ(もちろん台湾も)。なので、東北部や西域にでもいない限り、香港やマカオへビザランに行った方が公安局で延長するよりも安上がりなように思われる。

11月13日 夜行列車で深圳へ

朝の長沙中心部 風が強く結構寒い

8時起床。マクドナルドでモーニングセットを食べてから、地下鉄に乗って長沙駅に向かう。

10時過ぎ、長沙駅に着いて售票処で今夜の深圳行の切符を購入する。ネットの情報より高く、硬臥で273元だった。

今日の長沙では雨がパラついおり、新しい宿を探す気にもなれず、駅から宿に戻ると昼過ぎまで室内で日記を書いたりする。この宿に15泊してるとかいう姉さんに相談して、自転車と荷物を明後日まで預かってもらうことにした。

風が吹いて肌寒い中、湘江まで散歩に行く。途中で深圳に持っていく用の鞄を20元で購入した。イスラム食堂で炒飯を食べてから青年旅舎に戻る。

16時頃、深圳に持っていく荷物をまとめていたら董君がようやく起きてきた。今日受けると言っていた2社の面接はどうしたのか、と聞いたら「急にいく気が無くなった」とか言ってた。そんな簡単にすっぽかしても良いのか?

彼に挨拶して17時頃、青年旅舎を出て再び駅へ向かう。駅前のマクドナルドでコーヒーを一杯頼んで3時間ほど時間をつぶす。

22時に待合室に入る。駅前の雑貨屋で買ったカップラーメンを食べてビールを飲む。カップラーメンは山椒が効いていて「麻」の辛さを実感した。

23時頃、改札が始まり定刻通り深圳行K9017は発車した。

今回は硬臥の最上段だ。隣の男性は同い年で日本語を少しだけ知っていた。広州でプログラマーをしていると言っており、日本のアニメや漫画に詳しかった。おすすめのアニメを聞かれ、「あいにく自分はアニメや漫画はほとんど見ない」と答えたら、「本当に日本人なの?」と驚いた様子だった。彼は最近、新海誠の『天気の子』を観て、えらく感動したそうだ。

路線のためかよく揺れたが、普通に快眠できた。

11月14日 ビザランで一瞬だけ香港へ

7時半、起床。広州の手前を走行中だった。

9:56 深圳駅に到着する。10時間かけて鉄道で南下してきたので上着を羽織っていると暑い。售票処で長沙に戻る切符を購入する。窓口の姉ちゃんが英語ペラペラでさすが深圳だなぁと感動する。70元ほど安かったので16時発の列車にしたがこれが失敗だった。その訳はまた後ほど。

深圳駅のすぐ横には、香港との羅湖口岸があるのだがなぜかゲートが閉まっていた。人も少なく通過できそうな雰囲気ではなかったので、地下鉄に乗ってもう一つの、福田口岸へ移動する。

福田口岸駅から直接、出境ロビーへ移動することが出来た。同じ中国といっても、国際空港と同じ感じでしっかりと出境検査をしていた。

パスポートに出国スタンプを押してもらってから川の上の通路を渡って香港側の入国ロビーへ行く。11:30 無事、香港に入境する。香港の入国スタンプはパスポートには押されず、別紙に押して渡された。

左のビル群は中国本土の深圳 よく見ると看板が繫体字になっており、香港に来たことを実感

事前にインターネットで調べていた通り、エスカレーターを降りてからすぐにイミグレの建物に戻る。入境と出境は別フロアになっているので、すぐに戻ってきても、怪しまれることもなく香港を出境した。僅か10分ばかりの香港滞在だった。

中国側で入国スタンプを押してもらい無事ビザランが完了した。真っ昼間のためか、空いていたので時間もかからなかった。

イスラム食堂で炒飯を食べてから深圳駅に戻った。夕方までショッピングモール内のマクドナルドで時間をつぶす。

深圳は日本のように整った街だった。人々のマナーも他の街より良いように感じた。15時半、駅構内に入る。

16:24 武昌行きのT96は深圳を出発した。日が沈むまでは車窓を眺めたり、沈んでからは、今夜でSIMカードの期限が切れるスマホをいじったりする。行きの列車より運賃が安いためか、大声で電話し続けている人民がいたりと民度は若干低めだ。

自分も人民にならって、列車の給湯器でカップラーメンを作って食べる。二夜連続、4回目の中国的夜行列車なのでだいぶ慣れた(まぁ、硬臥だし)。22時前、就寝。車窓から月が良く見えた。

11月15日 長沙駅前で野宿? 長沙観光

2時前に乗務員にたたき起こされる。切符を買うとき到着時間を確認していなかったが、どうやらこの列車は深夜2時過ぎに長沙に着くらしい。こういう場合に限って定刻通り長沙駅に着く。

深夜2時の長沙駅前 色々とカオス度が高い

深夜なのだが、駅前には住宿の客引きが大量にいた。彼らを無視して、とりあえずマクドナルドに入る。外が明るくなるまで時間をつぶすが、寝ていると監視員(中国のマクドナルドには、無宿者を追い出すための専門の警備員がいたりするのだ)にたたき起こされるので寝られなかった。

3時間くらいマクドナルドでねばってから、始発の地下鉄に乗って青年旅舎へ戻った。荷物を預けた女子部屋の鍵が閉まっていたので、誰かが起きてくるまでロビーのソファーで寝る。10時過ぎに、この前の姉さんが起きてきたので、鍵を開けてもらい荷物を回収する。荷物をまとめて11時前に青年旅舎を出る。

『地球の歩き方』に載っていた青年旅舎に行くが、廃墟になっていた。他の宿を探そうにもネットが繋がらず途方に暮れていたら、wifiのあるイスラム食堂を発見する。炒飯を食べながら無事、長沙の青年旅舎を調べることが出来た。イスラム食堂様様だ。

13時、湘江の近くにある書院国際青年旅舎に入る。ドミトリーが一泊40元。

ドミ内で少し休んでから、新しくできたという地下鉄に乗って湖南大学駅まで移動する。なぜ湖南大学かというと、その西隣(敷地内?)には有名な岳麓書院があるのだ。

入口には「惟楚有材、於斯為盛」と掲げられている

15時前、学割で20元を払って嶽麓書院へ入る。嶽麓書院は嶽麓山の東麓にあり、中国四大書院の一つだ。創建は976年で、嶽麓書院を引き継いだ湖南大学と共に千年学府と呼ばれている。清代末明の政治家、曾国藩もここの出身だ。

明清代の書院の建築が現存していて一見の価値あり。付属の書院博物館にも入った。書院とは要するに学問所らしいが、近代より前の中国の教育機関は、当時の日本のそれよりも西洋的で発展していたのだなといくつかの建物や展示を見て思った。

后門から嶽麓書院を出て岳麓山を散歩するが、途中でこんな店を発見する。人民は毛沢東が大好きならしいが(武漢の青年旅舎で、お勧め詩人は誰かと尋ねたら毛沢東だと言った人民が数人いた)、出身地の湖南省ではさらに人気が高そうな気がする。

麓山寺の山門まで歩いてから湖南大学に戻り、再び地下鉄で青年旅舎に帰った。

シャワーを浴びてからイスラム食堂で夕飯を食べた。旅舎の一階でビールを飲んでから(イスラム食堂はもちろん飲酒禁止なのだ)21時に寝る。ドミトリーは人が多かったが静かでよく寝られた。湖南人は静かな人が多そうだ。

11月16日 長沙で休憩

10時頃、起床。午前中に武漢以来となる洗濯をした。ドミトリーで日記を書いていたら、背包客(バックパッカー)の広州人に話しかけられる。彼は25歳で今は鉄道とバスで中国全土を旅しているらしい。自分の旅路を記した地図や写真を見て「酷、酷」(coolの意味)と繰り返し言っていた。

近くの食堂で炒麺を食べてから、自転車のチェーンを洗って油をさしといた。後は休憩日ということで、宿でダラダラ過ごす。

夕方になってから中心部にあるウォルマートへ買い物に行く。テーブルクロス(テントのグランドシートの代用)、スペインのワイン、コーヒー粉、コップを購した。周辺は土曜日のためかとても人が多かった。地方都市の長沙でこんなにも人が多いとは、中国の人口規模に圧倒された。

道が混んでたのと、ウォルマートに長居しすぎたため青年旅舎には19時半に戻った。共同スペースでワインを飲もうと思ったが、栓抜きが宿に無くハサミでこじ開ける羽目になった。それでも、久しぶりにビール以外のお酒が飲めてとても満足した。22時過ぎに寝る。

日本を出て1ヶ月が経とうとしていた。

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