2019.11.3~7 武漢滞在、夜行列車で西安を観光

11月3日 武漢観光、武漢→西安 夜行列車

武昌駅で切符を買う

7時半起床。シャワーを浴びてから近くの食堂で炒飯を食べる。食後、宿の共同スペースでコーヒーを飲みながら3日分の日記を書く。青年旅舎のスタッフに相談して、1日10元で自転車と荷物を宿で保管してもらうことにした。

一旦、青年旅舎をチェックアウトしてから地下鉄と徒歩で武昌駅へ向かう。今日は星期天なので路上で麻雀や碁をしている人民がたくさんいた。

12:10 武昌駅に着く。駅舎の右側の方にある售票処に向かう。本やブログには「售票処には大量の人民があふれていて、数時間並んでも結局切符が買えなかったりする」みたいなことが書かれていたが意外とすいていた。

行き先、列車番号、種類を書いたメモを窓口で渡して、今夜の西安行の切符を購入する。硬座なので135元=約2160円で西安まで行くことが出来る。自分の後ろに並んでいたおじさんが陽気な人で色々と話しかけてきた。

辛亥革命武昌起義紀念館

昼食を摂ってから黄鶴楼の近くにある辛亥革命武昌起義紀念館へ行く。武漢は1911年に辛亥革命の発端となった武昌蜂起(武昌起義)が起こった場所だ。清朝末期の建物の中に入って、武昌蜂起に関する展示を見物する。

無料で落ち着いて見られたので良かった。

渡し船で漢口へ

次に、中華路の船着き場から渡し船で長江を渡って、対岸の漢口地区へ向かう。武漢は、長江と漢江が街の中心部で合流しており、このふたつの川によって、街は武昌、漢口、漢陽の3つに分かれている。(武漢三鎮)自分が泊まっている青年旅舎や辛亥革命紀念館は武昌にある。

漢口までの運賃は1.5元だ。10分程で漢口側の船着き場に到着した。漢口では、あてもなく歩いていたら、花楼街という市場に入った。

野菜から爬虫類まで様々なものが路上で売られている。お世辞にも奇麗だとは言えないが、活気があって見ているだけで面白い。雑貨屋で西安に持っていく用の鞄を5元で購入する。

江漢関大楼(左)と旧日清汽船漢口支店(右) 奥のマンションとの対比が、いかにも現代中国の急速な発展を表しているかのようだ。

帰りは旧漢口租界の建物を見ながら船着き場まで戻る。上海の外灘の小さい版といった感じだろうか。武昌へ戻るフェリーからは亀山に沈んでいく夕日が見られた。長江の水面に反射してなかなか良かった。

硬座で西安へ

再び青年旅舎に戻って、準備をしてから董君と宿を出た。彼と夕食を摂ってから、一人で武昌駅へ向かう。

19:20 駅に着いて、荷物検査を受けて待合室に入るが物凄い人ごみだ。

20時頃、改札が始まり3番線からウルムチ行きの列車に乗車する。自分の座席には知らないおっさんが座っていたので切符を見せてどいてもらう。20:16 定刻通り列車はゆっくりと発車した。

西安まで135元で行ける硬座は、文字通り10時間以上乗るには体力がいる座席だ。駅に着くたびに乗務員が大声で駅名を知らせにくるので、ろくに寝られない。スマホの音楽が大音量で流れていたり、床にゴミが散乱していたりと、かなりカオスなので帰りは硬臥(寝台車)に乗ろうと決意する。向かいのおじさん達が色々話しかけてくるが、中国語でよく分からない。鄭州で降りるみたいなことは理解できた。

列車は鄭州、洛陽を経て西安に向かう。寝られないだろうと思っていたが5時間くらいは寝られた。

11月4日 西安観光1日目

西安はかつて長安と呼ばれ、秦、漢、隋、唐などの歴代王朝の都として栄えた歴史的な都市だ。中国へ行くからには必ず西安にも行きたかったので、自転車は武漢に置いて、鉄道を使って3泊2日で往復することにした。

西安到着、大雁塔へ上る

7時過ぎ、列車が西安駅に到着した。朝の西安は霞んでおり寒い。售票処で明日の夜行列車の切符を購入してから駅前のマクドナルドで朝食を摂る。モーニングセットでコーヒーも飲む。店員さんに頼んだら店のWi-Fiを使わせてくれた。食後、まず地下鉄で移動して「地球の歩き方」に載っていた湘子門国際青年旅舎に行って荷物を預かってもらう。

青年旅舎の共同スペースで少し休憩してから、再び地下鉄に乗り大雁塔へ向かう。

大雁塔は玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典の保存のために、慈恩寺境内に建てられた高さ64mの仏塔だ。1300年以上も前の唐代からこの塔が建っていると思うと感慨深い。大雁塔の入場料は80元だが学生証を見せたら半額で入ることができた。

内部に入ってらせん階段を上ったが、内部の壁はコンクリートで固められていて、外から見た方が良かった。中国のこういうところはセンスが無いなあと思ってしまう。

長安(西安)城壁

鐘楼の近くで昼食を摂ってから西安城壁の安定門へ上る。こちらでは「中国の大学じゃないと半額にはならない」と言われて54元もかかった。

門の上の楼はとても大きく、マンションのようにすら見えた。城内から見るのと、城外から見るのでは風貌が異なって見えるのが興味深い。

安定門から永寧門まで城壁の上を歩いて青年旅舎まで帰ったのでさすがに疲れた。

長安の月

夜行列車と観光で疲れたので夕方まで宿で休憩する。日が暮れてから屋上に行ってみると、ビル群の上に半月が浮かんでいた。霞んでいて黄色かった。これが李白も詠んだ長安の月かぁ、と思うと少し感慨深かった。

夕飯は外で適当に食べて、宿でビールを飲んだ。その頃になると月はもう殆ど見えなかった。21時過ぎに寝る。

11月5日 西安観光2日目、西安→武漢 夜行列車

碑林博物館

街の中心のロータリーに建つ鐘楼 明代の創建

8時過ぎ起床。鐘楼近くのマクドナルドで朝食セットを食べる。11時に青年旅舎をチェックアウトしてから、歩いて碑林博物館へ向かう。

12:05 碑林博物館内に入る。敷地は広く、3つのエリアに分かれている。

碑林には名前の通り、いくつかの時代、書体の碑が林立していて見応えがある。1年生のときに共通教育で取っていた「歴史学入門」で中国の漢字の変遷については勉強したはずなのだが、実際の碑を見ても正直よく分からなかった。

ただ、こちらの玄宗皇帝直筆の「石大孝経」は印象に残った。払い方が独特で、素人目線にも皇帝の優雅で大胆な書風が感じられた。

2つある博物館で歴代の仏像や石棺を見てから、14時前に碑林博物館を出る。

近くの食堂で大碗麺なるものを食べる。とても美味しかった。

西安の書店

夜の列車まで時間があったのでデパートの中にある書店に行ってみる。適当に店内をぶらぶらしていたら店員さんに話しかけられる。「日本から来ました」と言ったら太宰治の本を持ってきてくれた。

「人間失格」や「女生徒」などが中国語で載っていたが、なぜか最後に「グッド・バイ」だけ日本語で載っていた。時間もあったし、せっかくなので書店内の椅子に座って読んだ。西安で「グッド・バイ」を読むとは思わなかった。

青年旅舎に預けていた荷物を回収してから地下鉄で西安駅へ移動する。

青年旅舎の近くにあった湘子廟 良い雰囲気

硬臥で西安から武漢へ戻る

駅前のイスラム食堂で夕飯を食べてから20時半頃、駅構内に入る。電光掲示板を見ると列車が1時間ほど遅れているらしいので、巨大な待合室でカップラーメンを食べたりしながら待つ。

22:40 ようやく改札が始まり、人民と共に一斉にホームに移動して列車に乗り込む。

硬臥は3段ベットで自分は1番下のベットだ。夜は消灯するし足も延ばせるので、行きの硬座に比べたらかなり快適だ。

通路にある椅子でビールを飲んでいたら、向かいのベットの男性の奥さんに「日本の方ですか?」と話しかけられる。蘇蓓蓓さんは6年間、北海道の大学に留学されていたそうで、日本語がとても上手だ。今回は西安に帰省した帰りだそうだ。少しお話してから寝る。鉄路をキシキシと静かに進む音が心地よかった。

11月6日 武漢で休憩

武漢に戻ってきた

7時半頃、起床。快適でよく寝られた。列車は河南省と湖北省の境の山地を走っていた。武昌駅に着くまで蘇さんと色々と話す。今は黄石市の大学で材料工学を教えられてるそうだ。北海道で生まれたという5歳の娘さんも可愛かった。写真を撮ってもらって微信を交換した。

10:50 武昌駅に到着する。駅前のマクドナルドでコーヒーを飲んでから、バスで享趣国際青年旅舎に戻る。

列車内で蘇さん家族から頂いたリンゴを食べながら、宿でのんびりする。

武漢長江大橋

午後から対岸の漢陽にでも行こうかと思っていたが結局行かなかった。武漢長江大橋のたもとでぼんやりと長江を眺めたり、本を読んだりする。武漢長江大橋は長江に初めて架けられた橋で1957年に開通した。

よく見てみると長江でおじさん達が泳いでいる。温暖な華中とは言え、寒くないのだろうか。

青年旅舎は国際色豊か

夕方、旅舎に戻るとフロントにパキスタン人だという男性がいた。彼は宿の姉ちゃんに中国銀行の場所を聞いていたが姉ちゃんはbank of china の意味が分からないらしく困っていた。なので自分が代わりに「チョングオ・インファン」と言ったら伝わったので嬉しかった。

彼以外にも、旅舎には香港人の男性や北京師範大学の学生がいたりしてみんなで話す。香港人の男性はNGOで働いているそうで、香港のデモや中国共産党についても色々と話していた。北京師範大の女性は英語がペラペラで、自分の英語力ではついていけないので、日本語のできる董君に訳してもらって会話した。

コンビニで夕飯とビールを買って旅舎で食べた。

ドミトリーには新しく、香港から来たという男性がいた。名前は馮曉東さんといい、翻訳の仕事をしているそうだ。今は、中国の全ての省をまわる旅の最終段階だと言っていた。日本にも行ったことがあるそうで、歴史や伝統建築にも詳しく面白い方だった。許可が下りれば台湾にも行くらしい。

また、潮汕から来たという男性はtwitterをやっていた。トランプ大統領や台湾の蔡英文総統までフォローしており驚きだ。24時頃、寝る。

11月7日 武漢観光②

晴川閣

8時起床。マクドナルドで朝食セットを食べてから宿に戻って洗濯をする。フロントのお姉さんが隣家から持ってきてくれた空気入れを借りて、自転車の空気を入れたりする。

14時頃、宿を出て中華路第三埠頭から船に乗って漢口へ渡る。漢江を少し遡って漢口南部の岸に着いた。昼食を摂ってからバスで漢陽へ移動する。

15:35 晴川閣に入る。晴川閣は明代に、風光明媚なこの長江沿岸に建てられた建築群だ。名前は崔顥の漢詩「黄鶴楼」の一文「晴川歴歴たり漢陽の樹」に由来している。

楼閣の建つ丘の上からは、長江やその向こうの武昌の街並みを見ることが出来る。今日は天気も良く、まさに「晴川」だ。武昌にある黄鶴楼は入場料が70元もするわりに観光客が多いらしいが、こちらは無料で入れて人もそこまで多くない。

古琴台

次に晴川閣から歩いて古琴台に行く。

16:50 古琴台に入る。入場料は15元だが学生証を見せて7.5元で入ることができた。古琴台は春秋時代の故事にちなんで、清代に再建された景勝地だ。庭園かと思っていたがそうではなく、意外とこじんまりとしていた。

帰りは琴台駅から地下鉄に乗って江漢路まで移動し、旧漢口租界を歩いて江漢関埠頭に戻る。

中国の下町に埋もれるように租界時代の洋風建築が残っている。

船で再び武昌に戻り、18時頃、青年旅舎に帰る。

青年旅舎で飲み会

19時頃、同じドミの就活生の2人組が大量のウイグルビールを買ってきた。記念に乾杯しましょうというので、彼ら2人と、董君と、馮さんとの5人でビールを飲む。就活生の男性は日本史に詳しく「なぜ本能寺の変が起こったと思いますか?」など難しい質問をされた。23時頃まで皆で飲みながら色々と話した。24時前に寝る。明日から再び自転車で走り始める予定だが、こんなに飲んでしまって大丈夫だろうか。

(追記)次の日、自分は武漢を後にしたが、この約1か月後に武漢で最初の新型コロナウイルス感染者が報告された。新型コロナウイルスの感染がこれだけ広範囲・長期間にわたって拡大してしまった以上、人々から「武漢=新型コロナ」というイメージが払拭されるのは、残念ながら長い時間がかかると思われる。しかし、自分にとっての武漢の印象は、今となっても、やはりこの1週間の思い出が多くを占めている。自分にとって、武漢といえば、あの青年旅舎であり、漢口の複雑な街並みであり、そしてあの悠々と流れる長江なのである。

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