2019.11.8~12 武漢→岳陽→長沙 自転車で移動 岳陽観光

11月8日 武漢→嘉魚 自転車で移動

6時半起床。夢の中では二日酔いだったが、起きたら普通だったのでホッとした。

シャワーを浴びて荷物をまとめてから8時過ぎに、3泊した享趣国際青年旅舎を出発する。武昌中心部のマクドナルドで朝食を食べてコーヒーも飲んだ。武昌から長江の東側を南南西に進む。久しぶりに自転車に乗ったので気持ち良い。12時、道路沿いの食堂で炒飯を食べる。

百度地図によると、潘家湾鎮から長江の対岸へ行く渡し船があったのでそれに乗る予定だったが、桟橋らしき場所に着いても渡し船が見当たらない。桟橋で釣りをしていた人民に聞いてみても「そんなものは無い」みたいなことを言われたので、対岸へ渡るのは諦めてそのまま長江東岸を進むことにする。

渡らんと欲するも舟楫無し…

16:00 嘉魚県に着く。中心部のバスターミナルの前に安宿が何件か並んでいたのでその中の1つの在水一方賓館に入る。宿のおばさんは結構フレンドリーで、小さい女の子も色々話しかけてきた。日本のこととか今までの道のりとかを頑張って中国語で説明する。

一泊40元の個室で19時過ぎまで日記を書いたりする。

夕飯は宿の近くで牛肉飯を食べた。宿の周辺は県の中心らしく夜でも賑やかだ。手前のでっかい筍みたいなのはここら辺でよく売られていた。ネットでビザのこととかを調べてから22時過ぎに寝る。

11月9日 嘉魚→岳陽 自転車で移動

7時頃起床。8時に宿を出る。近くの食堂で炒麺を食べてから自転車で国道107号線を走りはじめる。

赤壁市までの道は工事区間が多く走りずらかった。10時半に赤壁市中心部に着く。赤壁市には市名にもなっている、『三国志演義』で有名な赤壁古戦場があるのだが、けっこう郊外にあるのでスルーする。

13:30 羊楼司鎮の手前で湖北省から湖南省へ入る。腹が減ったので羊楼司鎮で食堂を探すが土曜日なせいかほとんど閉まっている。なので民宿のようなところに頼み込んで、炒飯を作ってもらい食べた。

はじめは武漢から岳陽まで2泊3日で行く予定だったが、宿泊地の都合とかで2日で行くことにしたので、今日はかなり距離が長く岳陽の手前で日没になった。

線香花火の火球のような陽が道路の向こうに沈んでいった。

18:40 ようやく岳陽駅に着いた。駅前にあった仁和賓館にチェックインする。はじめ1泊60元と言われたが、値切って2泊100元にしてもらった。2日振りにシャワーを浴びてから、近くの食堂で炒飯を食べてビールを飲んだ。食堂のテレビで日本語のアニメがやっていた。どうも、鼻水が多く出る。風邪を引いたのかもしれない。ティッシュを買ってから22時に寝る。

11月10日 岳陽楼に登る

9時起床。今日は岳陽に連泊して観光することにする。マクドナルドでモーニングセットを食べてからバスで岳陽楼景区に向かう。が、途中でカメラを宿に忘れたことに気づき、2回バスに乗った。

12時過ぎ、岳陽楼景区に着く。学生証を見せて半額の35元を払って中に入る。園内は結構広く、歴代の楼閣の模型とかも展示されていた。

園内の最も高い場所に岳陽楼は建っていた。現在の楼は清代末期の再建であるが、なかなか歴史的な感じだ。

内部も木造で良い雰囲気だ。『岳陽樓記』や『登岳陽樓』などの岳陽楼に関する漢詩も展示されている。最上階に展示されていた『登岳陽樓』は毛沢東の書だった。杜甫の『登岳陽樓』は自分が中国の文化・地理に関心を持ったきっかけの一つでもあるので、まさに「昔聞洞庭水、今上岳陽樓」という思いで感慨深かった。

そして、西側には洞庭湖の霞んだ水面が広がっている。

昔聞く 洞庭の水、今上る 岳陽楼、呉楚 東南に坼け、乾坤 日夜浮かぶ、親朋 一字無く、老病 孤舟有り、戎馬 関山の北、軒に憑りて涕泗流る

楼の近くで休んでいたら、内部で写真を撮ってもらった男性に話しかけられる。彼は岳陽大学の2年生で経済学を学んでいるそうで、少し英語ができた。今日は大学が休みだから友達と観光に来たらしい。「さっきの写真はあれでよかったか?」「逆光とかになってないか?」など聞いてきて、丁寧な人だった。日本に興味があり是非一度行ってみたいとも言っていた。少し話をして微信を交換した。

14時過ぎに岳陽楼景区を出る。近くのイスラム食堂で炒飯を食べてから床屋に行って髪を切ってもらう。20元=約320円と安いがシャンプーもしてくれて良い感じだった。というか日本の床屋が高すぎる(と、個人的に思う)。

16時前、宿に戻ってきて夜まで休憩する。

19時過ぎに昨晩と同じ食堂へ行く。これまた昨日と同じ便利店でティッシュと青島ビールを買ったら、店員の女性が顔を覚えていて、少し立ち話をした。炒粉と小籠包を食べる。

昨日よりは鼻水は良くなっただろうか。今日は日本の東京で祝賀御礼儀が、大学で学際があったらしい。23時に寝る。

11月11日 岳陽→汨羅 自転車で移動

7時過ぎに起きて、8時半に宿を出る。駅前のマクドナルドでモーニングセットを食べる。宿にヘルメットとブルーシートを忘れたことを思い出して、朝食後宿に戻って回収した。が、テントの下に敷くブルーシートが見当たらなかったので、恐らく宿のおやじに捨てられてしまった。まぁ、もう中国で野宿するつもりはないのでそこまで問題ではないだろう。

今日は雲が多く日差しがないので、南下するには丁度良い天気だ。午前中には少し雨がパラついた。岳陽市とは別の岳陽県という街(日本でいうと釧路市の横に釧路町があるみたいな感じか?)も通ったが、中心部からずれたバイパスを走ったので特に何もなかった。

道が一直線で走りやすかったので、15時前には目的地の汨羅に着いてしまった。汨羅駅前のイスラム食堂で牛肉拉麺を食べる。「牛肉●●拉麺」と強調して言ったら加肉と勘違いされて20元もとられた(まぁ、日本円だと360円くらいなのだが)。

中心部の中国銀行のATMで1000元を引き出してから、駅前に戻って今晩の宿を探す。通り沿いの宿はどこも50元からだったが、路地裏に入ると1泊40元というのがあったのでそこに入る。入って宿泊登記をしてたら急に腹痛になったので、宿の人のトイレを借りた。

宿の名前は厚源民宿客桟という。大きな窓付きの部屋が40元なのでまぁ良い。その後は部屋で休憩する。どうも体調が悪い感じがする。先ほどの腹痛もそうだし、頭がボーっとする。

19時過ぎ、昼と同じ店で今度は蛋炒飯を食べる。12元だった。シャワーを浴びて23時に寝る。

11月12日 汨羅→長沙 自転車で移動

8時に起床。例のイスラム食堂で炒飯を食べてから9:20 に汨羅を出発する。今までで一番遅い出発になった。走り始めると本格的に雨が降り出しので、ザックカバーをして進む。

12:40 緩やかな峠(田が広がっていて峠という雰囲気ではない)を越えた。この辺りから日が差しだした。農村地帯で食堂がなかったので、超市でパンを買って食べる。

沙河沿いの細い道を進んでいたら、とても古そうな石橋を見つける。清代からの建築だろうか。

長沙市街に入る手前の丁字路で、自転車に乗っていた男性に話しかけられる。上海から来たといった激励された。長沙は湖南省の省都なので、街はとても綺麗で近代的だ。郊外の烏広駅前のイスラム食堂で炒飯を食べる。

長沙市内で、武漢で知り合った董君から連絡があり、彼の泊まっている青年旅舎に自分も行くことにする。ちなみに彼は、青年旅舎(youth hostel) のこと「ヤンスホステル」と呼んでおり何となく可笑しかった。16時半、長沙中心部の五・一広場に着く。

董君のいる1234青年旅舎は五・一広場のすぐ近くにあったのだが、マンションの一室を改造したような造りで、何となく外国人は泊まれなさそうな雰囲気が…。さらに、狭いマンションの高階だったので自転車を運び入れるのに苦労した。彼いわく「今、老板は別に経営している宿に行っていていない」ということだったので、とりあえずシャワーを浴びて一息入れる。

董君が安くて美味しい食堂を知っているというので、2人で食べにいく。魯肉飯とジュースのセットを食べながら、日本語で会話する。彼は長沙郊外の湘潭の出身で、「人が優しいから上海より長沙の方が好きだ」と言っていた。話を聞いていると、彼は華中を放浪しながら求職中らしく、明日も面接を受けるらしい。

董君が電子マネーで会計をしたので少し安くなった。満月の浮かんだ長沙の街を歩いてヤンスホステルに戻るが、老板はまだ不在だった。

ヤンスホステルで彼と色々話す(というか一方的に話しかけてくる)。「躁うつ病を知っていますか?」と聞かれた。彼は自分が躁うつ病だとは言わなかったが、中国には多くの躁うつ病者がいることや、彼の父親が暴力的だったことなどを話していた。「自分は多くのお金は必要ではありません。自分が欲しいのは、温かい家族と、友人と、安定した生活だけです」と言った後に「中国の田舎の老人は拝金主義者が多い」と付け加えた。自分は「社会主義の中で生きてきた中国の老人に、なぜ拝金主義者が多いのか?」と尋ねたが、「詳しいことはよく分からない」ということだった。

21時に老板が帰ってきた。本当は外国人は泊められないから今日だけにして、と言われる。これなら初めから国際青年旅舎に行けば良かった。一泊32元を支払ったら、「現金で払う人は珍しいね」と言っていた。

22時に寝る。深夜3時頃、同じドミの男がかなり大きな音で咳き込んでいた。あまりにうるさいので「外で水でも飲んで来い!」と日本語で言ってやった。こんな宿は一泊で十分だ。

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