2019.10.17~20 中国・上海に上陸、上海→蘇州自転車で移動

10月17日 浦江から中国に入国

長江から黄浦江へ

6時半起床。時差があるので1時間長く寝られて得した感じがする。外を見ると、早朝の薄明るい中に岸の灯りが見えた。揺れも収まっていて船は長江の河口へ入ったらしい。外へ出てみると、水面は茶色く濁っている。川幅はとても広く、喫水の低い中国的な船が多く行き交っている。

iPoneのSIMカードを入れ替えたら、「アクティベート」にWi-Fi接続が必要ならしく、電源が入らなくなってしまった。なので代わりにデジカメで写真を撮る。8時前に船は長江から支流の黄浦江へ入る。三人で無料の朝食摂る。下川さんと阿部さん曰く、中国ではコーヒーを飲むのに苦労するらしい。また、炭水化物多めな中国の朝食は1週間もすれば慣れるそうだ。

朝食後、デッキに出て黄浦江沿いの景色を眺める。日本のニュースとかを見ていると、中国の大気は霞んでいるというイメージだったが、意外と澄んでいるなと思った。江は蛇行しながら上海中心部に近づいていき、上海のビル群がだんだんと大きくなってくる。阿部さんが持っていたポケットWi-Fiを借りて、無事にiPhoneのアクティベートを済ますことができた。

11時、新鑑真号は外白渡橋の近くの国際フェリーセンターに接岸した。対岸の浦東地区の摩天楼は圧巻だ。正面には外灘の租界時代の建築群も見えている。

初めて大陸の土を踏む

タラップで船から降り、バスに乗ってイミグレの建物へ移動する。入国審査官が1ヶ月のLビザの確認をしてから入国スタンプが押された。ここで新鑑真号の船内で知り合った人達とは分かれた。入国後、自転車と荷物を受け取る。両方無事でひとまず安心だ。

フェリーターミナルの玄関で荷物を自転車に取り付けてから、12:15 自転車で走り始めてとりあえずユースホステルへ向かう。

外白渡橋を越えて北京路を進む。今までは日本列島と台湾島にしか行ったことがなかったので初めてのユーラシア大陸だ。新鮮さと緊張感が入り混じった気持ちになる。13時前、上海藍山国際青年旅舎(英語だとシャンハイ・ブルーマウンテン・ユースホステルになる。青年旅舎=ユースホステル)のあるビルに着く。青年旅舎は6階なので自転車をどこに停めようか迷っていたら、英語のできる二人組の女性がマンションの管理人と話をつけて、6階まで運ぶのを手伝ってくれた。

8人ドミトリーが一泊80元(明日は休日料金で90元)なので2泊することにした。中国の物価がまだよく分からないが80元=約1280円なのでそこまで高くはないだろう。受付のお姉さんは少し日本語ができた。デポジットで100元必要だったが、まだお金を下ろしていなかったので学生証をフロントに預ける。

荷物をドミに置いてから、近くの銀行のATMで1000人民元を引き出す。国際キャッシュカードで無事に現地通貨も引き出せたので一安心。

南京路と外灘へ行ってみる

少し休憩して南京路を通って外灘へ向かう。

南京路は外灘と静安寺を東西に結ぶ道で上海一の繁華街となっている。めちゃめちゃ人が多くて驚く。上海は台湾の台北と比べると野犬もいなく、バイクも電動のものがほとんどなので、交通面に関しては静かだと感じた。

15:40 外灘に着く。租界時代に建てられた欧風のビルが立ち並んでいて、ヨーロッパの都市のようだ。しかし、屋根に掲げられている無数の五星紅旗を見ると、やはりここが中華人民●●共和国であると実感する。

対岸には植民地時代の建物に対抗するかのように超高層ビル群林立している。

青年旅舎のドミに戻ると強い不安と寂しさを感じた。新鑑真号で会った人たちと分かれて、急に大都会上海で一人になったからだろうか…。上海の巨大さと人の多さに圧倒されたのかもしれない。

夜の外灘

夕飯は南京路の近くの「蘭州拉面」という看板がかかれた食堂で食べた。(新鑑真号内で、蘭州拉麺は安くてうまいという話を聞いていたので)コーラと麺で20元=約320円だったので、中国の物価は安そうだ。食後、再び外灘へ向かう。

欧風建築や対岸の摩天楼がライトアップされていてとても煌びやかだ。しかし、あまりに人が多いのですぐに疲れてしまった。そのうち、ビルの間から赤い月がのぼってきた。

ビールと焼き鳥を買ってから青年旅舎に戻り、共同スペースで食べた。疲れていたのでシャワーは浴びずに22時頃寝た。狭いドミトリーの割にはよく寝られた。

10月18日 上海散策

豫園に向かうが…

8時半起床。シャワーを浴びてから南京路近くで朝食を摂る。食後、青年旅舎に戻って日記を書いたりする。青年旅舎には日本人の男性も泊まっていた。今日、高速鉄道で南京へ向かうそうだ。

11:30 歩いて青年旅舎を出発する。天潼路駅から地下鉄に乗ってまず豫園に向かう。

豫園駅で降りて豫園老街を歩くが、いつまでたっても豫園の入口が見当たらない。近くの張り紙をよく見てみると10月中は改修工事で閉鎖されているらしい。(写真は豫園老街の池)仕方ないので次の目的地へ行くことにする。老街は新しく整備された古い町並みで、日本でいうと伊勢のおかげ横丁みたいな感じだ。

浦東地区から虹口区へ

次に歩いて外灘まで行き、渡し船に乗って対岸の浦東地区へ向かう。

浦東地区には新しいビルが多く、黄浦江の西側の豫園周辺や外灘とは雰囲気が大きく異なる。上海、中国の金融の中心として発展している。

しばらく歩いてから再び船で黄浦江を渡って虹口区へ移動する。この辺りはかつての上海共同疎開があった所で当時からの建物が少し残っている。本当は魯迅故居に行きたかったが、歩き疲れてたどり着けなかった。15時半頃マクドナルドに入ってコーヒーを飲んだ。隣の席のおばちゃん達がフルーツを大量に持ち込んでお茶会をしている。中国のマクドナルドは持ち込みOKなのか?

地下鉄に乗って16時頃、青年旅舎に戻った。その後はシャワーを浴びて日記を書いたりする。

間違えて四川料理を食べる

夕飯で「成都○○」という看板の店に入って麺を注文したら激辛だった。成都は四川省の省都であることに食べてから気が付いた。もったいないので我慢して食べるが胃が痛くなってきたので3分の2くらい食べてギブアップする。次回からは四川省の都市名の書かれた食堂には気を付けよう。

青年旅舎に戻ってからはロビーで明日以降の宿についてなどを調べた。とりあえず明日は上海郊外の、水郷として有名な朱家角まで行こうと思う。

10月19日 上海から自転車で朱家角へ

中国走りはじめ

6時半起床。出発準備をして、朝食を共同スペースで摂る。8時に上海藍山青年旅舎をチェックアウトして自転車で北京路を西へ走り始める。

虹橋国際空港の周辺までは街中を走行する。路面の状態は台湾よりも良さそうだ。心配していた野犬も今のところいないので一安心。

今年は、1949年に中華人民共和国が成立してから70周年になる。直近の10月1日が国慶節(天安門で毛沢東が建国を宣言した日)だったので、いたるところにこのような中国共産党のプロパガンダのモニュメントを見かける。

12時頃、道路脇の商店で菓子パンを買って空地で食べた。青浦区の中心部を通って南西に進む。朱家角に近づく江南らしい水郷の風景が見られるようになってくる。

朱家角に着く

14時過ぎに朱家角に到着する。古鎮内の路地に自転車を停めて宿を探す。改修中のゲストハウスのような所で英語のできる女性に、外国人でも泊まれる宿はあるか尋ねたら、知り合いの男性を電話で呼んでくれた。

男性が古鎮で経営する柿園客桟という宿に泊まることにした。中国の伝統的な民家を改装した宿で良い雰囲気だ。個室で一泊160元=2560円なのでそこまで高くない。(と当時の日記には書いてあるが、中国に2か月以上滞在してから考えると、160元は明らかにぼったくりだ。いくら上海郊外の観光地とはいえ、この部屋なら60~100元が相場だろう)

朱家角を散策

宿に荷物を置いてから、朱家角を散策する。朱家角は「水郷古鎮」として有名な観光地となっている。魯迅の小説「故郷」に出てきそうな街並みが広がっている。ただ、家族連れや友人同士の観光客が多く、一人で歩くとやはり寂しくなった。

18時過ぎ日が暮れる。夜はライトアップされて写真のような幻想的な光景になる。一人見ていると感傷的な気持ちになった。外で夕飯とビールを買って宿で食べた。部屋のシャワーのお湯が出ず、結構寒かった。22時前に布団に入る。

10月20日 朱家角から蘇州へ

江蘇省に入る

目覚ましを掛けるのを忘れていたが、6時半に目が覚める。荷物をまとめて8時前に朱家角を出発する。しばらく走るとお腹が空いてきたが、道路沿いに食堂が見当たらなかったので近くの村の食堂へ行く。食堂のおばちゃんは全く英語が出来なかったので、自分の知ってる中国語とジェスチャーでなんとか麺を注文する。

9:40 小さな橋を渡って江蘇省に入る。この辺りには大小の池が多くある。朱家角と共に水郷として有名な周庄もこの近くにある。14時前、蘇州(姑蘇)城の堀の南側に着く。ここの食堂で炒飯を食べる。久しぶりに米を食べた気がする。

食後、堀を渡って城内に入る。市街地を進んで14時半に平江運河沿いにある明堂国際青年旅舎に着く。1泊60元=約960円の6人ドミトリーにチェックインする。

寒山寺へ行く

荷物を置いてから、地下鉄に乗って張継の「楓橋夜泊」の漢詩で有名な寒山寺へ向かう。チケット販売終了の16時ギリギリに境内に入る。6世紀建立の古いお寺だが境内には古いのか新しいのかよく分からない建物が多くある。

有名な「楓橋夜泊」の漢詩がいたるところに書かれている。

月落ち烏啼いて 霜 天に満つ、江風 漁火 愁眠に対す、姑蘇城外 寒山寺、夜半の鐘声客船に到る

急な腹痛が発生したので急遽境内のトイレに行って下痢をする。恐らく上海で一昨日食べた激辛拉麺が原因だろう。詩の題名になった楓橋を見てから寒山寺をあとにする。

日本へ帰りたくなる

青年旅舎に戻るために地下鉄の駅へ歩いていると、もう自転車旅行を切り上げて日本へ帰りたい気持ちになった。この先の距離があまりにも長すぎて、とうてい自転車で進んでいけないように思えてきた。それから、中国にも日本的な旅情を期待していた自分にとっては、人が多くて、派手で、騒がしい中国の観光地があまり合ってないような気がした。とりあえず、明日も蘇州で1泊してゆっくり考えようと思った。

帰り道にファミリーマートでコンビニ弁当と一番搾りを買って、青年旅舎の共同スペースで食べる。21時頃、早めに寝る。はじめは良く眠れていたが、3時頃、同じドミトリーの中華人民がスマホで大音量で動画を見ていたので目が覚める。中華人民の多くはイヤホンを付けずに音楽を大音量で流すことで有名らしいが、深夜3時のドミトリーでそれをやるとは思わなかった…。おかげでなかなか寝苦しい夜だった。

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