10月25日 南京を見物
南京大虐殺紀念館
9時起床。昨晩あまり寝られなかったためまだ眠い。宿を出て、コンビニでサンドイッチを買ってバーガーキングでコーヒーと一緒に食べる。
新街口駅から地下鉄に乗ってまず、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館へ向かう。南京事件については日中両国で対立する主張も多くあるが、南京を訪れた日本人としてはやはり行っておくべきだろう。
11:55 紀念館の入口に着く。建物には中国が主張する犠牲者数の300,000という数字が大きく書かれている。館内には大虐殺の証拠とされる写真や日記が日本語字幕付きで多く展示されていた。館内は薄暗く、沈痛な空気が漂っていたので重たい気持ちになる。
展示の最後にはこのような「結語」が大きく書かれている。「中華民族の偉大な復興」と「世界平和」は共に実現できるのだろうか…
中山門、南京博物院
13:50 紀念館を後にして、再び地下鉄に乗って明故宮駅へ移動する。駅前で麺を食べてから、南京城壁の門の一つである中山門に登る。
中山門は、日中戦争時に南京を占領した日本軍による入城式が行われた門でもある。真っ直ぐに伸びる城壁と濠を見渡すことができる。城壁の上で休憩していたらぽつりぽつりと雨が降り始めた。今秋の長江以南は稀にみる少雨らしく、自分が中国にきてから初めての雨だった。南京城内の大きな街路樹が雨に濡れて、趣のある風景だった。
中山門から下りて、近くにある南京博物院へ行く。(パスポートを見せれば無料で入れる)
江蘇省の歴史に関する充実した展示物を見ることが出来て満足。これらの展示を無料で見られるのはさすが中国だと思う。解説は中国語と英語のみだが、漢字と英単語を見比べれば大体の内容が理解できてしまいます。
地下鉄で新街口に戻り、雨の街を歩いて宿に戻った。
明日出発するか迷う
18時前に外へ出ると雨はやんでいて冷たい風が吹いていた。ジャイアント(台湾の会社なので、中国本土にもたくさん店がある。英語もペラペラだった)に行き、予備のチューブを2個買った。
帰り道で蘭州拉麺の看板の店に入って牛肉炒飯を食べる。15元でスープ付きで、量も多くとても美味しかった。南京の街の居心地が良いので、明日出発するかもう一泊するか悩む。
結局、宿に戻ってからも決められず、明朝起きたときの気分で決めようと思った。商店で買った蚊取り線香を焚いて寝たらよく寝られた。
10月26日 南京で休憩
のんびりする
6時過ぎ起床。やっぱり南京にもう一泊することにした。中国四大古都の一つでもある南京には他にも多く見どころがあるのだが、まあ今日はのんびりすることにする。
昨日と同じ「蘭州拉面」の看板の食堂で乾伴麺を食べる。この「蘭州拉面」の看板がある食堂は中国全土で展開しており、回族(中国国内のイスラム教徒)が経営しているらしい。ネット上の中国旅行のブログでは「イスラム食堂」と呼んでいたので、今後は自分も「イスラム食堂」と呼ぶことにする。宿で洗濯をした後、バーガーキングに行ってコーヒーを飲んだ。
午後に実家に手紙を書いて、洪武路にある郵便局へ出しに行く。郵便局のおじさんが良い人で、宛名の書き方などを丁寧に教えてくれた。
宿のトイレが壊れる
夕方、宿でシャワーを浴びる。シャワーと同じ場所に設置してある便器が故障して、大便が詰まっていた。周辺に奇麗な公衆厠所があるのでトイレの問題はないが、大便を見ながらシャワーを浴びたので奇麗になったのか汚くなったのかよく分からなくなった。
夕飯は初日の夜に入ったビュッフェ式食堂で食べた。ビールも飲む。南京はなかなか良い街だった。南京に3泊したので明日以降は湖北省の武漢までノンストップで行くことになりそうだ。22時過ぎに寝る。
10月27日 南京→含山 自転車で移動、公園で野宿
中華門から南京を出発
6:20 起床。荷物をまとめてコンビニのイートインで朝食を摂ってから、7:00に3泊した薪然賓館をチェックアウトする。まずは南京城内を南に走行する。
7時半、中華門から南京城外へ出る。中華門は南京城の南側の総門で、中国に現存する最大の城門らしく三重のかなり大きなものだった。
長江を渡る
中華門から南西に進み、9時過ぎに長江の渡し場に着いた。板橋汽渡という、日本語だと板橋の渡しといったところだろうか。
チケット売り場のおばさんから5元の乗船標を買う。「そこのノートに氏名と居民身分証の番号を書いて」みたいなことを言われたが、持っていないのでパスポート番号を書いておいた。
船はゆっくりと動き出す。上海以来となる長江の川幅は多少小さくなっていたが、それでも1km以上はある。中国、そしてアジア最長の河川である長江を船で渡るのはなかなか感慨深かった。10分程で対岸に着いた。長江の北側へ来ると、景色が少し寒くなったような気がした。
安徽省に入って熱烈歓迎を受ける
11:10 駟馬河に架かる橋を渡って江蘇省から安徽省の烏江鎮へ入る。烏江は亥下の戦いで漢軍に敗れた項羽が自害した所だ。(高校の古典でもやった、船頭に馬をあげるあの場面)町中には「覇王祠」と書かれた牌坊があったりと歴史のありそうな雰囲気だった。
烏江鎮の郊外でバイクに乗ったおじさんに話しかけられる。おじさんはずっと中国語で話しかけてくるので理解できないが、なんとなく歓迎してそうな感じだ。とりあえず「我是日本人、我从上海来的」と繰り返して答えたら、後ろについて来て、みたいなことを言われたのでついていく。すると、食堂に入って海鮮ラーメンを奢ってくれた。さっきおにぎりを少し食べていたので完食できなかったが有り難くいただいた。翻訳アプリを使って意思疎通する。おじさんは煙草を勧めてきたり、飲料も買ってくれたりととても優しかった。最後に微信を交換して別れた。「路上一点注意安全、一点注意安全」と繰り返し言われた。
しばらく進むと、救急車の運転手のお兄さんにも声を掛けられる。彼とも翻訳アプリを使ったりして話した後、微信を交換した。安徽省に入って人がフレンドリーになったように感じた。
含山県で野宿
15時頃、含山県に着いて遅めの昼食を摂った。夕飯と酒を買ってから進んで16時半頃、含山県郊外の大廟村という所の公園に着く。今日はここにテントを張って野宿することにする。
テントを張っていたら村のお姉さんに話しかけられる。「土の上に張らずに卓球台の上に張ればいいのに」みたいなことを言われたが、それだとペグが打てないので断っといた。その後お爺さんにも話しかけられるが、こちらは全くもって意思疎通が出来なかった。筆談をするもお爺さんの字が汚すぎた。
夜、テントの中でビールを飲みながら夕飯のパンをかじっていたら、テントに3名くらい公安が来た。公安と一緒に村の男性もいたので、おそらく近所の人が公安に連絡したのだろう。パスポートを見せたらすんなり「ノープロブレム」と言われた。意外とフレンドリーな感じで英語も少し通じた。中国初野宿でかなり緊張していたが、公安のお墨付きをもらえて多少安心した。国道の音がうるさかったが21時前には寝られた。
10月28日 含山→合肥 自転車で移動
無事朝を迎える
5:40 起床。中国初野宿にしては案外よく寝られたが、野宿はやはり体力的に疲れるので、宿泊費が安そうな中国ではもうしたくない。朝露でテントが濡れていた。外は息が白くなるほど冷え込んでいる。テントを拭いて、荷物をまとめてから7時に自転車で走り始める。
巣湖の街で炒飯を食べて朝食とする。内陸部へ進んでいるためか、日が高くなるとだいぶ熱くなった。気温の日較差に驚く。
省都合肥に到着
巣湖の右上を通って13時過ぎ肥東県について乾伴麺を食べるがけっこう辛かった。肥東県から合肥までの道は工事中で走りずらかった。合肥の郊外で大きな工業地区のような場所に迷い込む。労働者向けの住宅、食堂、雑貨屋などが立ち並び一つの町を形成していた。
16時前、安徽省の省都である合肥の中心部へ着く。安徽省は江蘇省に比べれば田舎な省なので、省都といっても南京や上海ほどは大きな街ではないように感じる。(それでも日本の都市と比較すれば大都市だが)
16時、桐城路にある夢園青年旅舎に入る。受付にいた兄ちゃんと姉ちゃんは全く英語が出来なかったので、英語のできるオーナーに電話を繋いでもらってチェックインの手続きをした。ドミトリーが25元=約400円と格安だ。
中国銀行で両替
蘇州でおろした1000元がそろそろ無くなりそうなので、日本から持ってきた3万円を両替することにする。はじめ宿の近くの中国工商銀行に行くが、うちでは両替はやってないと言われたので、中国銀行に行く。5時ギリギリに建物に入ったためか結構空いていた。必要書類を書いてから窓口で両替をする。窓口のおじさんは英語ペラペラでそこら辺の人民とは明らかにオーラが異なる。3万円→1822元だった。窓口を去る際”have a good day” と言われてさすが四大銀行だなあと思う。
タピオカをおごってもらう
宿に戻るとフロントの兄ちゃんに話しかけられる。彼の名前は張君といい、20歳らしい。外国人の友達と話すのは初めてだ、と言っていて驚いた。省都合肥の青年旅舎で働く青年が今まで外国人と話したことがないというのは、よっぽど安徽省を訪れる外国人が少ないということだろうか?
彼はとても親切で、微信のポイントみたいなのをプレゼントしてくれた。(使い方が良く分からなかったが)さらにシャワーを浴びるときに、宿のシャンプーは泡立ちにくいから、と言って彼の良いシャンプーを貸してくれた。
シャワーから出ると、張君が買ってきてくれたタピオカミルクティーをくれた。とても嬉しかった。(ちなみに自分は日本ではタピオカを全く飲んでこなかったので、おそらくこれが人生初のタピオカミルクティーです。CoCo(都可)は中国で人気のタピオカ店らしく、お店が多く展開しています。)
イスラム食堂で炒飯を食べてから、タピオカを飲みながら日記を書く。眠たかったので1日分だけ書いて寝ることにする。ドミには若者の集団が泊っていて満室だ。一人が大声でゲームをしていて騒がしかったが、静かにしてくれと頼んだら皆とても静かにしてくれた。21時と早かったのに電気まで消してくれて大変ありがたかった。
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