平成から令和への改元を旅先で迎えたかったので、計画した3泊4日の自転車旅行。3泊全てテントで寝たが、先月に東北地方で野宿したときとは比べ物にならないくらい暖かかった。「野宿するなら温暖な時期」ということを実感した旅になった。
平成31年4月30日 松山市から宇和盆地へ
寝坊して9時頃起床。昨日の夜に何もせずに寝たので、準備をしてから10時半に自転車で松山市内のアパートを出発する。伊予市方面へ56号線を進み、12時半に犬寄峠を越える。
犬寄峠の標高は290mで、かつては旧双海町と中山町の境になっていた。旧中山町は伊予郡ではあったが、町内を流れる中山川は宇和海へ流れる肱川の支流なので地形的には南予といってよいだろう。道の駅なかやまで休憩してから中山川沿いを進んで14時過ぎに内子町の中心部に着く。
内子には昔ながらの商家の建物が保存されていて良い雰囲気だ。この後、大正5年築の内子座にも行った。内子はてっきり山の中の寒村かと思っていたが、文化の香り高い近代的な町だと感じた。休憩所のノートに「ありがとう平成」といったことがたくさん書かれてあり、平成最後の日であることを実感する。
内子から大洲までの間に小さな峠を一つ越えた。この辺りは自転車旅行者やお遍路さんが多くいた。16時に肱川を渡って大洲城に到着する。霧雨が降りだした。
大洲城は文禄4年(1595年)に藤堂高虎によって近世城郭として整備された。17世紀の初めに造営された天守群が明治時代まで残っていたが明治21年に老朽化のため解体されてしまった。その後、平成16年に伝統工法を用いて現在の天守が復元された。
16:40 大洲城を出発して、南西に向かって小川沿いを登る。夜昼隧道を通って大洲市から八幡浜市へ抜ける。夜昼隧道は天井が低く、独特な雰囲気があった。交通量が多かったが、小さな歩道があったので無事に通過することができた。
17:45 八幡浜市の中心部に着く。時間がなさそうなので港の方へは行かず、南下して笠置峠を目指す。笠置峠の南側は宇和盆地の平地が広がっており、典型的な方峠といえるだろう。なので、自転車で八幡浜(北)側から超えると登りばっかりになってしまう。
19時半過ぎ、雨が降るなか道の駅どんぶり館に到着する。出発が遅かったので暗くなってしまった。この日の道の駅どんぶり館には自転車&テント泊や車中泊の旅行者が大勢集結しており、皆考えることが同じなようだ。自分も軒下にテントを張る。
酔っぱらったおっさんが大声で歌ったり、若者の集団が喫煙所で延々と喋っていたりとなかなか騒がしかったが、洗面所であった愛知県からの旅行者が洗剤を貸してくれたりと良い出会いもあった。24時前に寝る。
令和元年5月1日 令和初日!高知県へ進む
5時半ごろ外の物音で目が覚めた。テントから顔を出すと横の駐車場で地元の人が忙しそうに仕入れ作業をしていた。雨は降っていないが、周りの山には低い雲がかかっている。数十年に一度の改元だというのに、正月のような年が変わったという実感が不思議と湧かなかった。
7時過ぎに道の駅どんぶり館を出発して56号線を進み、7:30 法華津峠を越える。海から濃い霧が湧き上がっていて、少し下るとすぐに視界が悪くなった。港町の吉田からは56号から外れて大浦の集落を抜けて宇和島市の中心部に向かう。
袋町商店街のアーケード内に自転車を停めて、宇和島城へ行く。三層ながら均衡のとれた、平和的な天守だと思う。天守からは雨に濡れた宇和島のこじんまりとした市街地を見渡すことができた。天守内の解説に『ドナルドキーンが「宇和島は周囲を山に囲まれているため、オーストリアのインスブルックに似ている。しかし、ミカンの段々畑がある分、宇和島のほうが美しい。」と評した。』といった感じのことが書かれていたが、さすがにそれはないんじゃないかなと思ってしまう。(自分はヨーロッパには行ったことがないけれども)
宇和島からは再び56号線を南下して愛南町に入る。愛南町は海のイメージが強かったが、今日走行したところは意外と山がちだった。14時前に御荘の道の駅に着いて休憩する。
15:45 高知県宿毛市に入る。これで自分は愛媛県を川之江(香川県との県境)から一本松(高知県との県境)まで自転車で縦断したことになる。
宿毛の市街地の手前で旧道を見つけたので進んでいったら、路面が10cmほど水没した真っ暗な隧道が現れた。引き返すのが面倒だったのでトンネルを抜けたが、コウモリの糞が大量にあるは、ギアに流木が絡まるは、足が水没するはと散々な目に遭った。さらにトンネルの反対側(宿毛側)に土砂と倒木が積み重なっていて進路が塞がれていた。荷物を一度ばらして、なんとか超えることが出来たが、もう二度と廃道は通りたくない。
おかげで目標としていた四万十川沿いまで行けず、宿毛市東部の平田公園という所で遊具の下にテントを張った。夜、遊具に寝ころんだら星が大変きれいに見えた。
令和元年5月2日 宿毛から四万十川沿いを進む
5時起床。朝まで一回も目を覚まさなかった。気候が良ければテント泊でもこれだけ快眠できるのかと実感した。朝露に濡れたテントを片付けてから、6時に平田公園を出発する。
霧が晴れると雲一つない晴天となった。小さな峠を一つ越えて四万十川沿いに出る。四万十川の水量はとても多く、青葉の眩しい谷をどっしりと流れていて、清流というより大河といった感じだ。この日は四万十川沿いをひたすら上流に向かって進んでいくことになる。高瀬沈下橋と勝間沈下橋を実際に渡ってみた。水面を通りすぎてゆく風が間近に感じられて心地良かった。
中村から江川崎までの四万十川沿いの区間は人口密度がとても低かった。傾斜もそこまできつくなく、気候も温暖なのにこれだけ人が少ないのは変な感じがした。10時半頃、江川崎に到着。道の駅で休憩するが10連休ということもあって、観光客がとても多くにぎやかだった。
江川崎からは東へ進む。蛇行する四万十川を、橋やトンネルで串刺しにしたような道を走行する。緩やかな登りが続いたので少しきつかった。この日の気温は5月初めとは思えないほど暖かかった。
16:15 窪川に着く。窪川からは四万十川の本流から外れて七子峠に向かう。七子峠からは久礼坂と呼ばれる急な坂を下って、18時過ぎ久礼に到着する。
久礼の町はずれの、小鎌田浜という海岸にある無料キャンプ場にテントを張る。利用者が多く、芝生の上はすべてテントで埋まっていたので歩道の端にテントを張った。
令和元年5月3日 久礼から高知市にゴール
6時頃に起床。今日は最終目的地である高知市まで走行する。久礼から高知までは50kmもないのでのんびりと準備をして、8時過ぎにキャンプ場を出発する。
須崎まで56号線を進み、須崎から内之浦沿いを通って土佐市へ向かう。
土佐市に入ると地形もなだらかになり、美しい農村風景が広がっている。13:08 仁淀川を渡る。仁淀川の源流の一つは松山市の南にある三坂峠なので、いつか仁淀川沿いに松山から高知まで行ってみたなと思う。
13時半、荒倉トンネルを抜けて高知市内に入る。近くには高知大の朝倉キャンパスがあったり、路面電車が走っていたりする。
14:20 高知城の大手門へゴールする。高知城へは過去2回入っているので今回は見上げるだけにする。
有名なひろめ市場へ向かう。皆さん昼間っからお酒を飲んでいます。自分もカツオのたたきを食べながらビールと酎ハイを飲む。値段は高かったが美味しかった。
18:20 高知駅から松山行のJRのバスに乗る。正確な運賃は忘れたが、2週間前に予約をしていたので2千円以下で愛媛松山まで戻ることができた。輪行袋を忘れていて、「次からは袋に入れてね」と言われたが、無事に自転車も積むことが出来た。高知道が混んでいたので、1時間ほど遅れて22時過ぎに松山に戻った。
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