再びヤンゴンへ、そして帰国 (兄)

パガンは思った通りの場所だった。赤土の大地に転がる遺跡群を、自転車で真っ黒に日焼けしてまわった。そして朝焼けの中のパゴダと気球は旅のフィナーレにふさわしい風景だった。

けれどそれをここで書くことにあまり意味はない。書くならばヤンゴンへ戻る素敵な汽車旅だろう。

16時発の汽車に乗った。夜行バスに観光客をとられ、アッパークラスはガラガラであった。ヤンゴンまでの1200k(960円)が割高に感じるのは旅に慣れてきたからか。それともヤンゴンで無事にお金を降ろせる自信がないからか。

赤土の大地をゆく

日没までのパガン周辺の景色は、起伏があって面白い。そして何よりも、通過する村々の子どもたちが線路脇で一生懸命手を振っている姿が微笑ましかった。行きの汽車で会った男の子とはまたなにか違う。皆純粋無垢である。この子どもたちがスマホと出会わないことを願うのは単なるエゴか。

手を振ってくれる

2月26日再びヤンゴンに戻った。

セントラル駅には30分遅れて10時半に到着した。駅で顔だけ洗ってすぐにAYAバンクへ。両替のカウンターで説明したら親切に対応してくれた。はじめ2週間待てと言われ、それは困るとカード番号やらATMの場所を教えたら明日来いと言われ、明日の飛行機で帰るんだと言うと3時間後に来いと言われた。いい加減なもんである

今日もにぎやか

再び21番通りのドミトリーへ。今夜も泊まれそうと分かるとシャワーを浴びてWiFiつないでしばらくだらだらしていた。

15時、言われた通りに銀行へ。今度は大きなロビーで待たされた。銀行内は派手な広告で溢れ、その前をスーツを着た行員たちが行き交っている。開放政策による経済成長のつづくミャンマーを表すかのように活気に満ちていた。

結局1時間近く待たされて無事にカードを回収できた。ATMも操作してもらって20万K引き出せた。そしてそこから14万Kを100ドル札に替えて金銭問題はすべて解決した。ホテルに戻ってそれまでの宿代と、同じドミトリーの方に借りたお金を返金した。そしてマンダレーでお金を借りた日本人のIさんに連絡を入れておいた。

すっかり気分もよくなり、ずっと後回しにしていたシュエダゴン・パゴタへ行くことにした。

ちょうど日没の頃についてライトアップがはじまった。ビルマ人に間違われたか、入場料の1万Kはとられなかった。巨大な仏塔の周囲では大勢の人々が思い思いに過ごしている。私もその人たちの中でボーっとこれまでの行程を振り返ったりしながらすごした。

翌日の飛行機でヤンゴンを発ち、バンコク経由で28日帰国した。

ヤンゴンを発つ日の朝、Ⅰさんと独立記念碑の下で再開した。(パガンでもあったんだけどね)

お金をお返ししてから、ふたりとも時間があったので、しばらくお話した。これまで様々な国を旅し、今はバンコクに住んでいるそうな。これまでの旅先のこと・若い時のこと・そしてこれからのこと。。また素敵な方に出会うことができて良かった。今回の旅先で話した日本人の旅行者は魅力的な方ばかりだった。

飛行機から

18時のフライトでバンコクに向った。滑走路から沈む夕日を見たのに、雲の上に上がればまだ日が高い位置にあるではないか。なのでこの日は日没を2回見た。30分位の間隔があっただろうか。日没30分後に夕焼けがクライマックスを迎える意味がよく分かった。はじめの太陽は大陸らしい霞の中に消えていくまん丸なもの。一方上から見たのは、山の上で見るような眩しく突き刺してくる太陽であった。それに地球の自転と反対方向へ飛行機は飛んでいたので、明らかに日の沈むスピードが速かった。

窓からの景色は最後まで私を楽しませてくれた。

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