チェンマイの思い出 ③ (兄)

まだまだつづくチェンマイ編

2日目はバスに揺られてタートンという町まで行った。なのでチェンマイではないんだけど。

旧市街の北にチャーン・プアク・バスターミナルというのがあってチェンマイと北部の各地を繋いでいる。私もここで日の出を見ながら朝食を食べて7時20分の第2便のタートン行に乗り込んだ。

コック川に架かる橋

タートンはコック川沿いに開けた静かな山あいの町である。ここからコック川を船で下ってチェンラーイへ行き、そこからバスでチェンマイへ戻るという周回コースを予定していた。ところがタートンの川辺に着くと、船は動かないと告げられる。乾期で川の水位が下がり、至るところに瀬ができていて、説明を受けなくとも運航休止の訳は理解できた。

と、いうわけでこの田舎町に帰りのバスまで足止めされてしまった。ソンテオに乗って国民党残党の村メーサローンにでも行こうか考えたが、戻れなくなりそうでそれもやめた。

何もない街だが、バンコクやチェンマイで観光疲れをしてしまった私は、「何かみるべきものを見なければいけない」という考え方に縛られずにゆっくりと過ごせた。

唯一この町の見所といえるものにワット・タートンという寺がある。ここからはタートンの街並みと、北タイの平原が眺められた。私は雑貨店でノートとコーヒーを買って、バスがくる間、この寺からの風景を描くことにした。

描きはじめると時間を忘れて熱中し、はじめに乗ろうと考えていた14時のバスも見送り、16時前にバスターミナルへ戻った。

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やがて砂埃を巻き上げて少し早くバスが来た。バスはターミナルを旋回し、一時停止をしたかと思うと、エンジンも止めずに、またすぐ出発してしまった。ここまで1分もかからない出来事だったので何が起きたか理解できなかった。私以外は誰も居らず・誰も降りず、見事にスルーされてしまった。始発の町だし、長いこと停車しているだろうと日本と同じように考えたのが誤りだった。

屋台の兄ちゃんに訪ねても、やはり先ほどのが終バスだそう。この町で泊まってきなよと言われたが、まだ日も高く、別に疲れてもなかったので、あてもなくバスが走り去った道を歩きはじめた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 北タイの風景

ファーンという町まで出ればまだバスも有りそうだったので、とりあえずそこを目指した。

街道筋の村々は、日が傾きはじめるとやれやれというように人々の往来が活発になってくる。店には夕飯準備の主婦達で賑わい、軒先ではお父さん達が雑談をしている。道路で遊ぶ子どもたちも増えてきた。

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そんな中をとぼとぼ歩いていると、一台の車が停まり、仕事帰りのお姉さんが自宅のあるメーアーイという村まで送ってくれた。メーアーイからはファーンまで20kmくらいと言われたが、これで調子に乗り再び歩きはじめる。

暗くなって犬に怯え、嫌気が差してきた時にバイクのおじさんにまた拾われた。ファーン在住の方でお金なんか要らないよと言って後ろに乗せてくれた。タイのバイクは飛ばすに飛ばすが、彼の運転は日本人の私がのっても遅く感じた。そして荷台で受ける乾いた夜風が心地よかった。

結局、ファーンからのバスもとうに終っていた。おじさんはその事が分かると街中のホテルをめぐって交渉してくれた。そしてその中のひとつの宿にお世話になることになった。チェンマイで宿をとっていた分、痛い出費であったが、それ以上にタイの人たちの優しさに触れられて満足だった。

ホテルでコンタクトを外すと、眼鏡を忘れたことに気づき、次の日は0.1以下の視力でバスに揺られた。チェンマイの宿に戻った時、YさんMさんは不在だった。帰国後必ず手紙を出すと誓い、慌ただしく荷物をまとめて駅へ急いだ。

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