劔岳は富山県の山である。氷見の雨晴海岸から富山湾越しにみる劔岳は、五箇山や散居村と並んで富山の代表的な風景といえるだろう。
けれども私がこの山をはじめてみた(意識的に)のは反対側の白馬岳からである。アルプスの中でも白馬岳などの山々は、立山・劔連峰に対し後立山連峰とよばれる。けれども信州側から山に入った私にとって後立山こそアルプスの表であり、立山・劔は“裏”とはいわなくても、黒部渓谷の奥、向こうといったイメージを持ってしまう。
白馬岳の山頂から見ると、劔岳は黒部渓谷の後に聳える黒い三角形の山であってわかりやすい。私も山バイトに入って日が浅いうちは、どれが立山なのかも分からなかったが、この山とはるか南に顔を出す富士山だけは把握していた。
劔をはじめ、稜線からみえる山の名前が分かるとその山について調べるようになり、いつかは登ってやるという気持ちがわいてくる。山小屋にいる間は電波は入らなくとも、小屋の本棚は山雑誌で溢れていたし、何より登山者がおしゃべりなので色んな山の話をしてくれた。そして私の中で、山をみる→名前が分かる→調べる→登る、という段階が作られた。むろん、ただ地図だけみて登ったような山もあったが、こうしてプロセスを経て登った山々の方が何よりも長いこと山を楽しめる気がするし記憶にも残る。そして一度登った山は、次に他の山から眺めると妙に親近感がわき、そして忘れることはなかった。
そんなわけか、去年は意識していたわけではないが、こういったどこかの山から見た山に登る機会が多かった。
ここまで山に登る動機云々でダラダラと書いてしまったので、記録は簡潔に、写真を添えて。
8月5日、ようやくテストが終わり、その日のうちに準備して夜のバスで富山へ向かう。夜行ではないので富山には0時すぎに着き、始発までの間、路面電車のホームのベンチで南風に吹かれて仮眠した。
翌日、電車やケーブルカーやらバスを使って室堂へアプローチした。行程は、初日に立山三山を縦走して剣沢に入り、2日目に山頂アタックと剣沢にもう1泊、3日目に剱御前に寄って下山という王道コース。
それはそれは心に残る山行であったが、取り立てて書くことでもないので、雷に遭った話でも。3日とも午後に鳴っていたが、特に初日は怖かった。
昼前に富士の折立で内蔵助カールにみとれていたら薬師岳方面にはやくも雲がかかり、徐々に雷鳴も聞こえはじめた。別山まで行くと劔岳は見えていたが、ガスが湧き立っている。いかにも“盛夏劔岳”といったとこか。剱御前小屋でラーメンをすすっていると大日方面からも雷鳴が聞こえたので、慌てて剣沢へかけ降りた。剣沢に着くと雨も降りだした。参ったなぁと思っていると、テン場の事務所の方が建物に入れてくれた。その直後すぐ近くに1発落ちた。光ってからコンマ5秒くらいか、カール内で反響し、それはものすごい音であった。
30分くらい小屋の方たちと話していると、雷雲も去り、再び午後の日が射した。するとぞろぞろと劔岳方面からも登山者が戻ってくる。この人達は劔の登山道でさっきの雷鳴を聴いたわけで、生きた心地がしなかったことだろう。
夕立以外は天気も良く、山頂にも無事に立つことができた。帰りに寄った剱御前には誰もおらず、室堂界隈とのギャップに驚くほどだった。
そして雷鳥山荘で温泉に浸かった後、立山を見ながら生ビールで独り乾杯した。
おしまい
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