私が山へ入る時に、楽しみとしていることのひとつに、その山の歴史というものがある。樹林帯の中に残る炭焼き小屋の跡だったり、斜面の石垣であったり、と山へ人がたくさん入っていた時代の遺構が現れるとワクワクする。山で出会う人の中には、「花や植生」だとか「地質」や「風景」なんかにずば抜けて詳しい方がおられる。私も、そういった登山を文化的行為として捉える人々の端くれとして、山を歴史的な見方から楽しむことを続けていきたいと思っている。
特に私は旧道だとか廃道に興味があるので、近代以降の山の歴史が好きである。宗教登山や絵巻物の中の山岳風景を見るのも楽しいが、近代登山としてアルプスが拓かれていった時代にロマンを感じるのである。
そんな時代の文章なんかを読んでいて、何度も登場する徳本峠にようやく登ることができた。既に霞沢岳へ登った時に上高地側からは登っていたが、島々からのロングトレイルで歩いたことはなかった。梓川道が拓かれる前のメインルートである。W.ウエストンも芥川龍之介も高村光太郎もこの道で島々から上高地入りをしている。私も上高地は好きで四季を通して入っているが、その入り方にこだわってみたいと思うようになった。安曇村在住の弟と歩けば、さらに地元の山としてこの一帯に詳しくなれるのではないか。
ここ4・5年は崩落で通行止めが続いていたが、来年に向けた復旧工事がひと段落したと新聞に出ていた。徳本小屋などは、小屋閉めの後にこの道を下ったと記事にしていた。以前は地元の学校登山でも使われていた道である。天気が良ければ、朝イチで上高地入りし、下山で使うことも考えたが、天気は回復傾向。島々から歩いてこそだ、と当初の計画での山行となった。
月日 | 時間 | 場所 |
10/29 | 8:15 | 島々宿ゲート先の駐車場発 |
9:23-9:33 | 二俣 | |
11:25-11:48 | 岩魚留小屋 | |
14:00-14:38 | 徳本峠 | |
15:45-15:58 | 明神 | |
16:40 | 河童橋 |
日本シリーズを観たいというので、テレビの映らない安曇の家でなく、三郷の我が家に前泊。寝る前に上高地から帰る17:30の終バスを予約しておく。6時過ぎに起床。やはり寝坊。安曇の家に寄ってから島々宿のはずれへ。大きなゲートが現れるが開ければ車も通行可能。少し入った先が広くなっており、帰りのことも考えて、ここに停めることにした。県外ナンバーが1台と山仕事の小屋から煙が上がるのみ。
朝の光届かぬ谷を行く。
しばらくは林道歩き 車でもいけたなぁ。。
1時間とちょっと歩いて二俣へ。トンネルの方も気になるが。。未成道のトンネルがこの先も2つあるっぽい。
二俣から登山道になる。崩落個所の高巻などスリリングな個所もある。その一方で、橋や木道はずいぶんと立派なものもある。遊歩道として県が整備していた時代のもののようだ。
島々から既に山は色づいていたが、岩魚留小屋界隈が、廊下状になっている場所もあり、印象的だった。
秋の深山を歩く
日が対岸に射している。
常にせせらぎの音を聴く
ここが岩魚留小屋かぁ
小屋から先も歩きやすい道だが、徐々に斜度がきつくなってきて、峠が近づいてくる感じがする。
谷底から九十九折で峠へ這い上がる。
2年ぶり、徳本峠。上高地までがつながった。
明神の一部が雲間から見える程度。それでも迫力がある。夜に降ったであろう雪が地面に残っていた。峠を抜ける冷たい風に吹かれながらコーヒーを煎れる。
梓川へ下る。
日も傾いてきた。こちら側は晩秋の雰囲気である。
島々から歩いてこれた。。
明神館周辺も人影は疎らであった。
小梨平のカラマツ林の紅葉が見事である。
河童橋にて
晩秋の上高地。穂高の稜線は雲の中だったが、この落ち着いた感じも好き。
終バスまで河童橋で2杯目のコーヒーを飲んで、日没を迎える。結局、徳本峠までは人に会うこともなかった。6月にここから焼岳へ行こうとしたときには、整備中だからと突き返された。ちょっと心配もしていたが、今回は、静寂の古道を歩き通して、こうして河童橋の袂に立っている。良い山行でした。
最終バスの乗客で島々で降りたのは我々だけであった。車を回収し、竜島温泉に入り、安曇の家に泊まって翌日そのまま出勤した。
来年の再開通に向けて地元・松本ではけっこう盛り上がっている。伊藤新道は今年に復活し、徳本峠への古道も「信飛トレイル」として再整備されるようだ。クラシックルートなどと言う呼び方で以前から歩かれているようだが、島々と明神という歴史ある地名を結んだ「島々明神線」と呼ぶのがシンプルで私は好きである。
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