ヤンゴンをめざして (兄)

チェンマイから汽車に揺られて、タイ中部のピッサヌロークまで南下した。ピッサヌロークの街で1泊し、翌、2月17日からビルマに向けて西進をはじめた。

ここから国境までは230km、ヤンゴンまで約700kmである。途中にある街で私が知っていたのは世界遺産で有名なスコータイだけで、あとの地域は行ってからのお楽しみだ。

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スコータイを境に旅行者は減り、交通の便も悪化した。遺跡巡りでスコータイに一泊し、ビルマ入りしたのは2月18日であった。

その日の朝は前日の疲れもあり、9時近くまで寝ていた。中庭で100バーツで優雅な朝食を済ませ、ダラダラと向かいのターミナルへ行くと、メーソート行のワゴンがちょうど出発するとこだった。

メーソートの町並

蒸し暑い満車のワゴンに4時間ほど揺られてメーソートへ。メーソートはビルマとの国境の街。市場にはタナカを塗った女性もいる。そんな賑やかな市場の一角にソンテオが留まっている、そして男が手招きをしている。

I want to go border と憧れの言葉を言うと、おーよく来たねこの車だよ、っといって荷台に乗せてもらった。

泰緬の国境には川が流れていた。乾期で水量はなく、そこに立派な橋が架かっている。夕方、私はこの橋を渡って国境を越えた。2ヵ国間には30分の時差があり、この小さな川で時間が変わるというのが何ともおかしかった。けれども飛行機に乗った時以上に、地球が丸いことを実感しながら時計の長針を180度回転させた。

この橋を越えると..

ビルマ側のミャワディも大きな街であった。けれどもビルマの地方では外国人が泊まれる宿が限られている。夕方に国境を越えたことを後悔しても後の祭。暗くなるまでミャワディの街中をさ迷ったが、結局二千円近く払ってホテルに泊まった。

翌日もひたすら西へ。

ヤンゴン行のバスも出ていたが何となく気が引けてやめた。鉄道にも乗りたかったのでモーラミャインという街へ出ることにした。

朝、モーラミャイン行きの乗合タクシーを探した。ビルマの人たちは皆親切ですぐに見つかった。

私のほかに乗客は小綺麗なおばさんと小汚ないおじさん。ま、自分だって汚いんだけど。途中のコーカレイでおばさんが降りたので、眠そうなおじさんを後部シートで横にさせて私は前へ。コーカレイまではアジアンハイウェイの名にふさわしい高規格の道路だったが、この町より先は赤土のダートになった。トラックの後ろについてしまえばものすごい砂埃で何も見えない。なので運転手はどんどん追い抜いてゆく。腕はあったが、車内はものすごい揺れた。こんな中でも後ろではおじさんがイビキをかいて寝ているので驚いた。

昼下がりにモーラミャインへついた。セントラルと伝えたつもりがシンデレラホテルで降ろされてしまった。ダウンタウンと言うべきか。120キロをタクシーで走っても10000チャット(800円)。ビルマは何よりも交通費が安かった。

サルウィン川をゆくタンカー

モーラミャインはサルウィン川の河口に開けた美しい街である。ダウンタウンにはコロニアル建築も残る。それにこの街には起伏があって、街並みにアクセントを与えてくれる。東側には丘が連なりその上に沢山のパゴダが並んでいた。私はそのひとつからデルタ地帯へ落ちる夕日をみて、駅へ急いだ。

ヤンゴン行の列車はまだ来ていなかった。無事に券も買い、あとは列車に乗るだけだ。

以下、夜行列車で書いた日記(小説風

汽笛を二回鳴らして21時、一時間遅れて出発した。客車はホームをゆっくりと滑り出し、静かにただレールの音が響くだけ、。十何両という超大編成だった。はるか前のディーゼルカーが引っ張ていくので、後方のこの車両にはその音は聞こえない。

駅を出ると盛土の上を自転車くらいの速度ですすむ。左手の丘の上にはライトアップされたパゴタが並んでいる。日中立ち寄った時にはその派手さに何とも面食らってしまったが、今こうして下から見上げるとその良さが分かるような気がする。美しいモーラミャインの街はあの丘の向こうなのだろう。この街の夕焼けとこの車窓からはヤンゴンへ向かう高揚よりも、ビルマ圏に入ったのだという安堵が得られた。

やがて盛土は高架に変わり、そのままサルウィン川を渡る。

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