バンコク滞在を終え、2月13日、朝の光を浴びるワット・アルンに見送られてクルンテープ駅へ。100年以上の歴史を持つこの駅も来年・2021年には移設だそうな。あの独特なかまぼこ屋根の下で、かつてのバックパッカー達と同じように列車を待てたことを嬉しく思う。
チェンマイの思い出としてみたが、今回のは憧れの汽車旅についてがそのほとんどである。
朝いちでアユタヤへ行き、昼下がりまで遺跡群を散策した後にチェンマイ行きの寝台車に乗った。切符は2日前の夜に買ったが、寝台車は人気が高く15時半という微妙な時間の出発になってしまった。窓が開き、ローカル色の強い3等寝台を狙ったが、どれもいっぱいだそうで、2等車になった。
客引きに連れられるまま駅の喫茶店に入ってwifiを繋げてダラダラし、どうせ遅れるだろうと到着時刻に店を出たら、直ぐに来たので驚いた。
それはそれは長大編成であったが、親切な駅員さんのおかげで座席はすぐにみつかった。
隣の席は二人の日本人だった。朝まで弟といたのに、アユタヤをひとりでまわっただけで、久々に日本人と話す気がして、なんだか楽しくてベッドメイキングがくるまで沢山話した。それもそのはず、お二人とも信州で農業をしておられ、その前はブラジルで働いていたり、またもう一方は信州で先生をしていたりと、、私の考えるカッコいいおじさんそのものであった。。
私と同じでSIMカードなど持たず、日本と連絡も取らないとのこと。「3週間の(日本社会からの)臨死体験をすることも目的の一つだ。」という言葉にも何とも重みがあった。
私たち以外にも寝台車には沢山の旅行者が乗っていて、皆がそれぞれの時間を過ごしている。トランプをして遊ぶ者、昼寝をする者、そしてまた沢山の物売りが客車を行き交っている。日本では諦めざるをえない旅情がそこには感じられ、はるばる来た甲斐があった。
やがて日が落ちて夜になり、はじめての寝台車でワクワクしながら横になった。
名前も知らない駅の明かりで何度か起きて家路につく人々をボーッと眺めたりもしたが、やがて身を起こすのも面倒になって眠ってしまった。次に目を覚ましたころには、頭上の窓から見える月が振り子のように大きく揺れていて山岳地帯に入っていたことが理解できた。
チェンマイももうすぐだ。
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