今日は2020年5月10日。これから書いていくのは去年の夏山の記録である。既にあげてある記録は去年のうちにはてなブログに書いていたものを持ってきただけなので、この鹿島槍ヶ岳の記録から脱・コピペレポートというわけだ。
私にとって2019年というか大学3年生というのは忘れられない1年間になったに違いない。というのも1年間ただ遊んでいただけだが。前のブログは本格的な夏山シーズンを前に見事に3日坊主で終わってしまったが、山に登らなくなったわけではない。それどころか去年はこれまでにないくらい山に登った。それはたぶん10年かけて登るような数を1シーズンで登ったようなもの。具体的にはこの鹿島槍や立山・剱、鳥海山などなど、、。山小屋のバイトも10月半ばの小屋閉めまでいた。山だけではない6月に原付を購入し行動圏はさらに拡大した。それに春休みにははじめて海外にもいった。振り返れば1年のうちの100日以上を”家ではないどこか”で生活していたことになる。
いま私の手元にはほこりをかぶった縦書ノートが2冊ある。「令和元年夏山日記」と書かれたノートには、ネットに書かない代わりにと、毎日の行動を書き連ねてある。そういえば毎晩書いていたのぉ。良い意味でも悪い意味でもネットの海へ放った記録の方が残ると思うので、この日記をもとに写真をつけて書いていきたい。自粛期間中で暇なことだし。
さて鹿島槍である。山頂は美しい双耳峰をしていて遠くからでも確認することができる。3年前、船越の頭から雲海に浮かぶその山容を眺めて以来、憧れの山となっていた。はじめは五竜までの縦走も考えていたが、天気や時間を考慮して扇沢ピストンとした。
一週間前も連休要因で白馬にいた。戻ってからも毎日天気予報とにらめっこ、この1週間だけでかなり天気の知識がついた。今朝の時点で予報は23曇雨雷、24曇後晴とあまりよくなかったが、我慢できずに出発した。登山口のある扇沢まで自宅の愛知県からは距離があったが、後先考えず原付にザックをくくりつけて出発した。家を出たとたんに雨がふりはじめ、愛岐道路を抜けて多治見あたりでどしゃ降りになった。こんな天気のR19を走るのはしんどかったが、鳥居峠をトンネルで通過し、奈良井宿でボーッとしている間に雨が上がった。松本城に立ち寄って18時大町へ。大町温泉郷の中にある薬師の湯へ入り、温泉街の駐車場にテントを張って寝た。
翌日から3日かけて扇沢ー鹿島槍をピストンしたので、昨日の雨中強行と比べて実にのんびりとした山行となった。冷池のテン場で2泊して初日と3日目が上下山、なか日に山頂へアタックした。
心配していた天気も日を追うごとに回復し、最終日には爺ヶ岳の稜線を立山・劔の大パノラマを正面に見ながら下山することができた。そして柏原新道を降りる前に寄った種池山荘にて甲信越地方が梅雨明けしたと聞いた。
憧れの鹿島槍登山は、初日に雲をみて、2日目は花をみて、3日目に山をみる、そんな山旅であった。
やはり夏山は、雪もまだ多く、花も沢山咲く7月が一番だと思う。なので学内に一定数山ヤがいる以上、夏期休暇は8・9ではなく7・8にしてほしい。
下山日は天気も良く、爺ヶ岳で会った山荘の方が教えてくれたお花畑に立ち寄ったりもしたので、少し遅れて正午すぎに扇沢へ戻った。駐車場で同じ愛知県の登山者と話していたが、これから原付で帰ると言うと驚いていた。無理もない。
他を探すのが面倒だったので再び薬師の湯で3日分の汗を流して14時には大町から帰路についた。
16時半松本、木曽福島で日没を迎えた。夜のR19はおそろしかったが、運転技術はだいぶ上がったことだろう。最後の最後、瀬戸でゲリラ豪雨に遭い、全身+荷物ずぶ濡れになって23時半帰宅。20時間近く寝ていなかった訳で、そのまま死んだように眠った。
おしまい。
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